◆生菜食で乳癌克服に挑む

 私と生菜食との出合いは、生来、虚弱で病気の問屋のような姉が、どこもかしこも弱く1年の半分は病気で寝て暮らしている様な状態がつい2年ほど前まで延々と続いていたのですが、ふとしたご縁で甲田先生にご指導を仰ぐことができるようになってからは75kgの巨体が今では50kgまでに減って、目に見えて元気になり、私は物心ついてこんなに元気な姉を見たことがなかったのです。
 私は20年来のアレルギー性鼻炎と足の水虫に悩まされておりましたが、「体質改造して治すよりない」との姉の強い勧めもあり、目の前に見て来た素晴らしい別人の様な姉の体験につられて、58年4月から 玄米菜食と青汁を始めるようになったのです。温冷浴も毎日励行しました。しかし、自分のこととなるとあまりにも永いアレルギーとの付き合いが、そんなにたやすく治るものかしら?と、実感が湧かず半信半疑でした。ところがなんと3ケ月位でその症状を忘れてしまった位です。気が付いた時には、もうすっかり治ってしまっていたのでした。体重も54kgから10kgも減ってスリムになり「生菜食」の威力をまざまざと体験したのでした。
 ところがそんな喜びも束の間、8月の半ば頃、右の胸部に足のくるぶし大のシコリがあるのに気付きました。早速近くの病院で受診しましたところ、乳頭の上部を少し切り取り細胞検査をするとのこと、その間、私は訳も判らず唯、漠然と「生菜食をしているから反応が出たんだな」と楽観的に考えて検査結果を待っていました。
 9月3日、シコリを発見して半月以上も経って、乳癌の宣告を聞かされたのです。
 「5日に入院、7日に手術」と、どんどん話が進行して、私も驚き悲しみの中で観念しました。抗癌剤だ,コバルトだ、と副作用の多い薬を考えるだけでも気が滅入るばかりでしたが、姉が甲田先生にご相談しようと言い出した時は、なぜその事に早く気付かなかったんだろうと思いました。やはり気が動転していて病院の言われるまゝになっていた様でした。闇の中に一条の光を見出した様な気持ちとはこんな気持ちをいうのでしょうか。幸いにも黒瀬会長さんのお口添えにより、ご多忙を極められる甲田先生に診ていただけたのでした。その時は細胞を取った後の胸は、玉子を縦に割って伏せた様なシコリで、気のせいか初めに発見した時より大きくなった様に感じられました。
 先生は「やるか?!」とおっしゃいました。
 私は「はい!」とお答えし、それだけでもう百万の見方を得たように力強く思い、やる以上徹底的に、と固く決心しました。
 帰宅して直ぐ入院予定の病院へお断りの電話をしたところ、副院長が出られ、「今手術すれば治癒率100%に近いが1週間先になったら遅いですよ、2週間終わったら手遅れです。癌が転移して了いますから、自然療法なんてもっての他です。近代医学を信じないのですか。後悔されますよ」等々興奮した口振りで最後には、「そんなことをしていたら、どうにもならなくなって2年後には死にますよ」とまで熱心に説得されるのです。それには商売づくと離れた誠意も感じられ、本当のところゆれ動く気持ちをどうすることも出来ず、甲田先生に失礼も省みずお電話をさせて頂いたのです。先生は「医者は皆そういいますよ。まぁ1ケ月この療法をやってみたらどうですか」とおっしゃいました。その後2、3日して前述の病院から電話があり「もし私のところで心もとなく思われるなら資料は全部さし上げるから得心のゆく病院で手術を受けては」とまで手術を勧めて下さいました。  この様に私の病気のことを本当に心配して下さるお気持ちは有難く思われましたが、私の心はもうゆらぐことなく甲田先生のご指導にしっかりおすがりする決意でございます。
 さて、甲田先生から頂いた養生法ですが、食事は「生菜食」で昼夕2回です。1回分は青汁200g(大根・人参・山芋合わせて)最初の頃は食べきれず、休み休み食べたものでしたが、今ではもっと食べたい様な気さえします。
 運動は金魚、合掌合蹠、毛管運動、その他に裸療法12回、脚胖療法、温冷浴、芋湿布、40分行、朝夕2回大変なスケジュールでゆっくりしていると1日の時間切れになってしまいそうに忙しく、早朝から時間割を決めてすると少しゆとりが出る様になりました。特に裸療法を1日12回もやるのは時間的にも大変ですし、冬季は寒さが身にこたえます。しかし、そんなことで挫けてはいられません。癌を治す為には甘えは許されないのです。勿論、30年に及ぶ職業生活にもピリオドを打ったのです。わづかな睡眠時間さえ闘病の一環でした。
 芋湿布は次第に皮膚が荒れ、かぶれ出し、赤紫に腫れ上がり、大小の噴火口のように無数の口が開き、とろとろと粘った水のようなものが出る様になりました。ガーゼのハンカチを四つに折ったものを2枚重ねてその上から軽く押さえていると、手の平までがしっとりとしてきて、熱が上ってくるのが感じられました。悪臭もし、癌が溶けて出てくるのでしょうか、ウミの様なにおいでした。
 その様な芋湿布をし乍らの40分行です。合掌して一心に般若心経を唱えること40分、芋湿布をはづして直ぐ患部に30分の触手をするのですが、不思議なことに両手の指の間から一段と多くのウミ様のものが流れ出てきます。そして開いた多くの口が更に大きくなる様でした。早く悪いものが出つくしてくれます様にと、一生懸命念じての「業」でした。
 振り返ってみると、このような療法の繰り返しが20日間も続いた頃が癌との闘いのピークだったのでしょうか。爛れ切った肌に刺激の強い湿布をするのですから沁みて非常に痛く、微熱も続きました。次々と痛む箇所が出てきたのです。同時に肘、太もも、脇の下に筋の走るような痛みを感じだし、歯も磨けない位に痛み出しました。しかし、この様な症状が出る事はかねてから甲田療法の先輩であるところの姉より聞かされておりましたので、「今が辛抱のしどころだ!」と心に言いきかせ、夢中でひるむ気持ちを引き立てながら頑張りました。これは甲田先生を絶対信じ切っていたからであります。又「生菜食」という厳しい食事療法を些細な違反もなくやってこられたのは多くの方々の暖かい熱心な励ましがあったからこそと心から有難く感謝の念でいっぱいでございます。
 9月5日の初診から1ヶ月足らずの10月3日の診察は、先生に、「シコリがなくなっているよ」と、おっしゃって頂いた時の喜びと驚きは、例えようもありませんでした。思えば初診の時に甲田先生はそのことを予言なさっておられたのです。「一ヶ月この療法をやってみませんか」と。そして「癌だと云われた病院に、もう3ヶ月後に見せに行って来なさい」といわれたお言葉に「この療法で治る」というご確信のゆるぎなかったことが、ひしひしと感じられたのでした。私自身は芋湿布との闘いでしたので、シコリの有無は全く気付かずに居たのです。何時の間にか腫れも引き、方々の痛みもおさまってきました。
 シコリがないと云って頂いて後、2回目の診療日を迎えた11月13日、「大阪府立成人病センター」で検診を受ける様にとのおすすめで、次の日早速血液検査を受けました。初めてのことで1週間後の結果待ちがどんなに長く感じられた事か、結果は予想通り「シロ」と出たのです。癌反応マイナス!すぐ近くの赤電話にとび付き、先生にご報告したのですが、涙が出てどうする事も出来ませんでした。
 此の頃になると、やっと気持ちに少しばかりの余裕が出て来たのでしょうか、そうだ野菜を青汁ばかりにしなくてもそのまゝ食べても成分は同じなんだ、決められた量の中から恐る恐るレタスを一ひら口にしてみました。あゝその美味しいこと、そうなるとキャベツも少し、とお茶碗に半分食べたでしょうか。よく生野菜をバリバリ食べていると耳にしていましたので、これなら青汁よりおいしく戴けると一人合点したのでした。ところがその晩、39度からの発熱、嘔吐が続き原因の判らないまゝ苦しい朝を迎え、甲田先生にお電話をさせて頂いた時は、ワラをもすがる様な思いでした。
 今までの苦しい闘病生活がすべて水泡に帰したのか、と必死の思いでした。先生は直ぐ「何か違うものを食べなかったか」とおっしゃいましたが、私としては何の違反意識もないので途方にくれる許りでした。いつもと違った事といえば青汁にする前のレタスとキャベツを少し食べたことを申しますと「そうだ、胃腸を荒らしたんだ」とおっしゃるのです。ご指示に従い、玄米のおも湯、辛子湿布、脚湯を2日しまして3日目からは又、普通食に戻りました。あれ程の苦しみも嘘のように治って了ったのです。
 同じ自然食の同じ乳癌のお仲間がやって平気な事でも一方では、これ程激しい反応が出るんだから人間にも百人百様がある如く、同病にも千差万別があることをいやと云う程思い知らされた訳です。やはり甲田処方に忠実でないと自己診断は許されないんだとつくづく反省させられた事でした。この様な失敗があってからは、初心にかえって心を引き締め精進の日々を送りました。
 お陰様で体は非常に快調でお友達2,3人とサイクリングがてら野草を摘みに行ったり、日帰り旅行を楽しんだりしても私が一番元気で病気になる前よりスタミナもあり、我ながら驚き、また非常に嬉しく心はづむ毎日でした。食事の度に生菜食の効力が体の隅々まで沁み込んで行くような感じがされて楽しみ乍ら頂いております。
 その年の11月からは青汁も根菜も200gから250gに増やしてきました。そうしたある日、発病より1年1ヶ月にしてやっと待望の断食のお許しが出たのです。

● 寒天断食(昼夜2回)
寒天 1本半 アクを取り乍ら2合半迄煮つめて、温かい中に飲んでも、冷まして固まってから食べても可。
3合
3g
蜂蜜 30g
 
●すまし汁断食
3合 沸騰したら椎茸と昆布を引きだす
干椎茸 30g
出汁昆布 30g
 
黒砂糖 30g 砂糖が溶けたら火を止める。
醤油 30g
 
●快復食
1日目 青汁のみ
2日目 青汁+根菜
3日目 普通食

 以下表にまとめてみました。

回数 期 間 断 食 日 数 体 重 備 考
1回目 59・10/28
11/6
寒天断食
10日間
終了
40kg
38.5kg
両手に一杯位ポケット便が1週間位つづく
  11/7 寒天断食
    翌日宿便が便器一杯位 2回
2回目 12/13
12/22
寒天断食
10日間
終了
41.5kg
41.5kg
甲田先生より乳癌を意識しない生活でいゝと云って戴く
3回目 60・1/28
2/10
寒天断食
2週間
終了
43.5kg
43.5kg
6日から10日迄水様便あり
4回目 7/8
7/21
すまし汁断食
2週間
終了
41.5kg
39kg
1日目にバケツ一杯位の宿便3日目にポケット便

 最後のすまし汁断食は、たまたま2週間の終了前日が年1度の奈良の健康合宿に当りました。「無理をしない様に」と先生もおっしゃって下さいましたが、会場には先生方もいらっしゃるし、姉も同行してくれますので、水筒に「すまし汁」を入れて参加させて戴きました。さすがに体は元気でもフワフワと雲を踏むようなおぼつかない足どりでした。そのせいか前3回の断食では変わらなかった体重もこの度は2.5kgも減っておりました。しかし、翌日の甲田先生の診察にも早朝より出席するスタミナがあるのです。
 発病より丸2年が経過しました。「手術もせずにそんなことをしていたら手遅れになって、2年もしたら死んでしまいますよ」と云われた当時を今、感慨深く思い出されます。心身共に種々の悪戦苦闘があったとは云え、玉子大のシコリが1ヶ月で消え去り、3ケ月目には成人病センターで癌反応なしと出て、甲田先生を始め皆様に大変喜んで頂きました。私も涙乍らに体験を発表したものでした。
 今は退職して了いましたが、長年お勤めをしました職場の上司やお友達、ご近所の方々までも初めの 頃はこんな療法が理解できず、あやぶんでおられた様でした。しかし、今では心から声援を送って下さる様になり、温かい目で見守って下さるようになりました。 又、「生菜食友の会」の皆様にも熱意ある励ましをし続けて下さった事が大きな心の支えでした。
 そして何より甲田先生が時々励ましのお電話を下さったことでした。一人ではとてもここまで頑張ってこられなかったんじゃないかと、つくづく思っております。
 この様に大勢の方々のお陰を頂いて、今日の日を生かして頂いている事を思えば、今度は生涯かけて一人でも多くの方が「生菜食」の恩恵に浴されますよう努力して行きたい、それが私に与えられた使命と思っている次第です。                                             昭和60年8月末

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