◆連載(第1回)
●ぶらず らしく ガンと仲良く            武者 宗一郎

ぶらず、らしく
  昔、大正の頃「幼稚園倶楽部」という雑誌は、なかなか人気が高かった。ある年、「ぶらずらしく」という妙な特集記事が載ったのを、いまでも忘れない。非常にためになると、子どもながらにも思ったものだ。いろいろと仮定形の文体がたくさんあった。「もしあのとき、この人がこれこれこうだとすれば」天下の大人物には、とうていなり得ていなかったであろうというような寓話がたくさん載っていた。
  「ぶらず」とは「ぶるな」である。つまり、男なら男ぶらずに、男らしく行け、ということである。百姓は百姓らしく、科学者は科学者ぶらずに、科学者らしく生きよとの教えであった。女も政治家も芸術家も、すべて「ぶらずらしく」で行け、と「幼年倶楽部」は訴えていた。
  この教えは古今東西、生類万物にも通じ、人間は「人間ぶらず」に、もっと真面目に「人間らしく」人倫に沿い、謙虚に生きるべきであると教えていた。それが、こよなく懐かしい。
  だがしかし、いつの頃からか人々は「なぜ」を忘れ、「いかに」で生き始めだした。科学の故かいちじるしく傲慢である。いかに早く、いかに多く、いかに豊かに、いかに楽に、いかに便利に、いかに大きく・・・・。だがこれでは、どこの国でも人々の魂が病み、心が狂い出す。そこには苦しみが生まれた。和むことのない、争いの壷と無際限の欲望。
 この先、老人も子どもたちも、皆手をたずさえて「いかに」ではなく、「なぜ」を反省し、「ぶらずらしく」の人間として生きてゆくべきである。「ぼく、どうして人間の子に生まれてきちゃったのだろう?」などど、子どもたちを悲しませないためにも。
 20世紀はまさに人類が持った最大の堕落の世紀である。次に来るべき21世紀こそは、本当に人間たちが「人間ぶらずに人間らしく」生きることを実行に移すべき世紀であろう。
 この目的を達成するためには、まず「ぶる者ども」を滅亡させ、「らしく族」だけを残す淘汰をする必要がある。その方法のひとつとして神は、「難治病作戦」をお考えになられたものと、私は読む。難治病とは、全く原因不明で治療の方法が立てられないという、恐ろしい病気である。厚生省は仕方がないので日本中の医師どもに最善をつくすよう命じ、その治療費はいっさい国がもつと、取り決めたのだ。つまり、「難治病」を宣せられた患者は、国が委託する死を覚悟の人体実験材料になるわけである。
 しかし難治病の首領格であるガンに関する限り、厚生省はこれを例外的に除外したのである。なぜならば、これを認定して国費でまかなおうとなったら、それこそ防衛費どころの騒ぎではないからである。原因も治療法も予防法もすべてわからずじまいのガンではあるが、日本人の死亡率最高の病気とあっては国家予算の崩壊をまねく。つまり、今やどの先進国も国亡病に冒されはじめたのだ。これは明らかに、国家や民族に対する神(宇宙)からの警告である。でも大衆も国家すらもそれに気づこうとはしていない。
 ガンやエイズは、今までのような通り一遍の病気ではない。これは、自分で自分がわからなくなる、奇妙な自分という存在を、再び自分が改めて見つめ直さなければならぬという、自己免疫に関与しているからである。
 そこで「ガンを克服した者ども」が合い寄って、「ガンと仲良くする会」なるものを、昨年結成することになったのである。時は昭和59年3月。所は大阪八尾市の甲田病院の一室であった。

○ ガンと仲良くする会の創立
 「ガンからいっさい手を切る会」ならわかるが、仲良くする会とはふざけるなと叱られそうな名称の会ではある。私は、昭和59年5月13日に発足した、この会の会長にさせられた。
 この事実は、同日付けの毎日新聞で全関西に報道された以上、私としてはいささか世間につぃしても説明をする必要があるだろうと筆を執った次第である。
 日本の死亡率最高位にある難治病たるガンの治療法が、実のところ見つかったのである。これは世界的一大事である。国立のガン研ですらどうにもならぬガンが治る。発見さえ手遅れでなく、しかも本人がガンであることを熟知し、治してみせるという「心身症的」な自信と勇気さえ持てるのなら、ガンは簡単に治るのである。ここで「簡単」といったのは、なにも高価なコバルト60の照射装置だの、高い薬代などをいっさい使わなくても、だれでもが、いつどこででも始められる治療方法なのですよという意味合いである。
 ただ、ひとつだけ「簡単」でないことがある。それは新興宗教に見られるような偏った盲信的なものでなく、現代人として、ガンの知識を充分に持ち、サイモントが唱えたように「心身症」でであることを完全に自覚し、ガンを恐れず敢然たる態度を取れるか否かという一点だけである。
 あとは大安心して「ある医師」の命に服従すること。ただそれだけで、初期のガンならたいていのは完治できる。だから「自分がガンであることさえ知れば」少しも恐れる必要などない。ガンは身の内なのだから。敵のように見えるけれども、実は敵でないのだから、油断することなく安心して治療に立ち向かうのである。いな、治療でなく消失させてしまうのである。
 そのある医師とは、大阪府の八尾市におられる甲田光雄医師のことである。甲田先生は終戦後に阪大医学部を出られた医師で、30年がかりでガンの治療方法を打ち立てられた医師なのである。むろん、完成した科学技術というたぐいのものでない。先生と患者が一体となった信頼の上でガンと闘うのであるから、その覚悟はぜひ必要だし、また具体的な方法なども、おいおい改善されてゆくであろうが、今は記すべくもない。
 とにもかくにも、私は自ら発ガンしてみせ、それを2ヶ月で治してみせたのである。この先は、それを語ろうではないか。
 治療の具体的方法論に入る前に、会長である私の認識として、ガンをどのように考えているのかについて述べたい。敵か味方かと短刀直入に問われたのでは、もろん味方だとはいいがたい。なぜなら秩序を乱す存在がガンだからだ。かといって敵でもない。私はガンは身の内と認識する。ただできそこないのやりそこねであるから、その乱れをただしてやらねばならぬだけのことである。
 まぁ、身内から出た錆みたいなものだ。放置すれば、錆はどんどん広がっていく。だが錆の源はとただせば、わが身なのである。バイキンでもなければけがでもない。ガンはあくまでわが身が産んだできそこないなのである。長男長女はましなのだが、次男坊だけがどうにもならぬ暴れん坊で、世間にたいへんご迷惑をかける厄介者だ。だからといって、これをコバルト60の放射線で焼き殺してしまえという考え方は、碧眼紅毛の輩にはできても、黄肌黒髪の日本人にはできない相談ではあるまいか。
 抗ガン剤で毒殺しようとする試みも、メスで切り殺せという考えも、そのすべては尊属殺人ではなかろうか。たとえガンが、チフスや肺炎菌のような外敵であったと仮定したところで、やはり彼らとても生きてゆく権利、生命の息吹があらばこそ、危険を冒してでもこの強大な人間という餌食に飛び込んできたのではないか。となれば敵といえどもあなどらず、免疫機構させきちっと持っているならば、別に敵として憎むこともあるまい。敵ながらあっぱれな奴じゃ、ぐらいの鷹揚な気持ちでつきあってやっても良いではないか。
 ましてやガンは身の内(錆)とも思いやれば、哀れみの心を働かせてあて、正常に戻るためにうせてもらえば良いではないか。じゅんじゅんと論するのはたいへんなことだが、自然理DNAのテープ情報にお祈りすれば、きっとお前もたすかるよ、といって聞かすのだ。これが私の考え方であるが、甲田医師はこれを「平等」と呼ばれる。「お前さん、この細胞は敵だ、こちらの細胞は味方だとする考え方から、敵ならば殺せ。味方なら救え、このような考え方が「差別」の思想である」と、甲田先生は申される。まことに
高邁で、なかなか一般大衆にはのみこめないかもしれぬが、事実、この考え方でガンは治るのだ。
 私の膀胱ガンも、この精神で治してみせた。ほかにも仲間はたくさんいる。これが「ガンと仲良くする会」の主旨である。
 遺伝情報のDNAには、実に無量大数ともいうべき情報(録音)がしまいこまれている。生物のすべては、祖先からちょうだいしたこの情報を頼りにして、日々を営々と幸福に健康で過ごせるように元来できあがっているはずである。だのに現代は、ガンガンと発ガンして死んでゆく。いったいなぜなのであろう。

○ 現代生理学はガンをどう見ているのか
先刻ちょっと触れたように、「現代医学」と称するところの伊藤博文好みの近代西欧医学仲間の専門家の中にも、甲田先生や私のような考え方をする方々が少しおられる。しかも年々増加の傾向にあることは喜ばしいのだが、多勢に無勢で、衆寡は適せず、目下のところ、とみに劣勢やむをえぬ。明治十年以降の、現在の医師法という法律を覆さぬ限り、とうてい無理。みんな医師どもは<現代科学的医術にのみ>とりすがろうとばかりするのである。
博文の欧行は、鎖国300年の直後だったために、明治大帝も誤謬されたのであろう。現医師法ほどの悪法は、ほかに類を見ぬ。ゆえに昭和59年10月31日をもって、博文の千円札は姿を消したのであったのだ。少なくとも、私はさように思っている。
さて、ガン学者の中で、時流もあるにせよいまなお強い一派に「免疫療法」のグループがいる。私の考え方はこのグループにもっとも近い。仙台市にある河北新報社のアンケートによると、現在この考え方を支持する専門家が24%で、第2位の由である(小山寿筆「婦人公論」1985年1月号<※>)残念なことに第1位の71%は「化学療法」(つまり毒殺説)なのだそうである。やはり今の医師や病理学、薬理学、生理学者たちの考え方は、ガンはあくまで敵であるから、毒で殺せ、切り殺せ、焼き殺せ型が圧倒的に多いようだ。これでは、ガンを消滅させるなんてとうていできるはずがない。ベトナムに撒いた枯草剤
が、いまどんな結果を招きつつあるか、インドで起こった「農薬事故(メチル・イソシアネート)」がなにを意味しているのかを、よく考えてほしいものだ。
 生命というものは、肉眼で不視の微生物から、花蝶魚獣のあらゆる生類万類について<共尊>されるべきものである。つまり、いずれもともに同様に命そのものは尊いものなのである。
 他が他の生命を奪うことによって、この生命がたもたれるよう、神<宇宙>はそれを「食の輪廻」として組み上げられた。ゆえに自らの生命を保つためなら、他の生命を倒すことだけは、神もこれを許されたのである。しかるに人類のこの頃の罪の深さはなんぞ。ピストルで倒した相手の人間を食うどころか、ただちに逃げ去るという卑怯者になり下がってしまっている。なんたることをするのか。神の怒りも限界に達せられたものとしか、私には思えぬ。
 よって、宇宙の神々はガンをはじめとする幾多の「難治不治」の病をわれわれに下したまいて、反省を促しておられるのだと思う。それなのに、いまだに気づこうともせぬ。この不妄さ。なんたることぞと私も怒りに耐えない。太母さんこと、菊池霊鷲女史は、これに50年も前から気づかれ、世に「船を岸につなぎなさい」という論文で訴えておられる。彼女がまだ30歳そこそこの戦前の時代にである。
 かかる才女も日本に実在するというのに、いまの大衆はいったいなにをやっているのであろうか。いまやこの太母さんの論文は、英語はもちろん、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語に翻訳されて、全世界の人々に「人間の過ち」を訴えている。
 これに目覚めて反省をしようとしない子孫たちを、おそらく神々はガンをはじめとするAIDS(後天性自己免疫不完全症候群)とか、若年性痴呆症(ボケ)とか筋無力症とか、いろいろな方法で人類に忠告を与えつつあるのであろう。この方法は遺伝子操作なのだから、神々にとってはいともたやすくできるのである。これから先も、もっともっと新しい手だてで、神々は人類を警告することであろう。
(※)原文には54%とあるが、これでは計算が合わないので、筆者が推測した値であることをおことわりする。
                                          (武者宗一郎)

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